八丁堀 その名の由来
2023年04月29日
江戸時代初期、この地に開削された割堀の長さが八町(約873m ※1町=60間=109m )あったことから、その周辺を「八町堀」と呼ぶようになり、その堀名に由来して「八丁堀」という町名になりました。(町の字は、後に略字の「丁」となります。)堀を境に北側の地域一帯を本八丁堀(北八丁堀)、南側の河岸地一帯を南八丁堀と称し、広範囲にわたっていました。
江戸時代初期、この地に開削された割堀の長さが八町(約873m ※1町=60間=109m )あったことから、その周辺を「八町堀」と呼ぶようになり、その堀名に由来して「八丁堀」という町名になりました。(町の字は、後に略字の「丁」となります。)堀を境に北側の地域一帯を本八丁堀(北八丁堀)、南側の河岸地一帯を南八丁堀と称し、広範囲にわたっていました。
この人物は、寛政6年(1794年)に歌舞伎で上演された芝居「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたずな)」の登場人物、盗賊の江戸兵衛を描いた浮世絵、『三世大谷鬼次の奴江戸兵衛』です。
こちら、江戸時代の浮世絵に描かれた鉄砲洲神社とそのそばを流れる水路を描いた歌川広重の浮世絵。